日記で小笠原旅行 vol.3


パソコンから発掘された、去年の小笠原旅行の日記・エッセイ版です。おうちで小笠原の空気をどうぞ。

(前回までの日記)


小笠原諸島は島全体が、本当に宝箱みたいだな、と思う。ひとつひとつが、鮮やかで生命に満ちている。東洋のガラパゴスなんて言葉はいらない。ただただ、生命の宝庫だ。

目に見えている景色は、カメラでは収まりきらない。打ち寄せては消える波も、エネルギーに満ち溢れた森も、

何もかも、レンズには収まりきらない。

カメラで撮っている時間が勿体ない。もっと見ていたい。自分の目で、手で、耳で、じっくりじっくりと見たい。手で触ると、匂いをかぐと、またあたらしい表情が見えてくる。

海に潜れば、色とりどりの魚が泳いでいる。ふわふわと波に踊る天草。

海岸には瑪瑙(めのう)や綺麗な貝殻がゴロゴロと落ちている。


いつも電車の中では目線のやり場に困るから、携帯を見ている。

でも今は携帯なんか見ている場合じゃない。海も山も、何もかも、ものすごい解像度だ。

タコノキの根っこはニョキニョキと伸びて、今にも歩きそうで、

溶岩がかたまった岩は、ライトを当てるとミネラル分がキラキラと艶やかに輝く。

夜になれば、暗闇の中でヤコウタケがほんわかと光って、ひそかな存在感を出している。

コウモリがキィキィと鳴きながら、タコノキの実をむしゃむしゃ食べている。

ぼんやりとした月の明かりも、鬱蒼とした森ではまぶしいほどに感じる。

ぼうぼうと海からの風が吹き付ける。

夜に羽アリが踊るのは正直うれしくないけど、太陽の出る時間も、月の時間もにぎやかで、楽しい気分になってくる。

シンプルで、この島では当たり前の事だろうけど、普段そんな場所を探すのがどれだけ難しいことだろう。(そしてその難しさが、どれだけジワジワと気持ちを蝕むことだろう)

数日自然の中で過ごしているだけで、何かがじんわりとほぐれてくる。

頭の中を縛っていた紐が、ゆるく解けてくる感じ。あぁ、この場所に来れて嬉しい。

数日島で過ごしていたら、すっかり曜日の感覚がわからない。

これが島時間なんだろうか。

この父島は、おがさわら丸の出航に合わせて、お店を開けたり休んだりするそうだ。

島の生活は船の舵取りで動く。土日休みの週休2日制がスタンダードじゃない世界。

島ごとそんなペースだから、全く気にならない不思議。

夫が船乗りをしているので、生活が船次第でガラッと変わるのはこちらも同じ。

だけど、島全体が変わっているのはとても面白く感じる。


船の時間感覚は、電車とも飛行機ともまた違う。何時間単位、というよりも何日単位。

そういえば夫が船から帰ってくるときもそうだったっけ。(だいたい、何日か単位で遅れる)

自然のリズムにもっと近い感じがする。

ぼんやりと過ごしていたら、あっという間に帰る日になってしまった。

浦島太郎も、もしかすると、こんな感じで過ごして数十年経っていたのかもしれない。

もう少しいたいけど、帰らなきゃ。明日の船を逃すと、あと一週間こない。

不思議と、島にいると一週間くらい良いかな、と思えてくるけれど。本当に不思議な時間感覚。

あぁ、帰るのが惜しい。

出航前に桟橋へ行くと、お見送りに来た島の人がわいわいと過ごしている。

一緒に船でやってきた人たちも、島で過ごすうちにゆったりした気分になったり、打ち解けたりで、行きよりも、なんだかゆるやかな表情をしている。

私も短い期間しかいないのに、お世話になったガイドさんや、一緒のツアーに参加した人とはすっかり顔見知りのようになってしまった。


後ろ髪ひかれる思いで船に乗り込む。

盛大なお見送りの音頭が、太鼓で始まる。小笠原のお見送りは、「さよなら」ではなくて「いってらっしゃい」と言う。そんなこと言われたら、また帰ってきてしまうじゃないか!言葉には気持ちが宿る。魂が宿る。言葉は、人をみちびく力がある。

あまりに温かいお見送り。思わず、隣の見知らぬお姉さんと「嬉しいですねぇ」と喜び合ってしまう。ゆっくりとお見送りに時間をかけてくれるって、できそうで、できない。

ありがとう、父島。

船旅のいいところは、気がすむまで、見えなくなるまで、とっても長い事お互いを惜しみ合えるところだと思った。

お見送りはまだやまない。

ダイビングのボートが何隻も追いかけて、たくさん手をふっているのが見える。船が港からずいぶん離れても、まだまだ、お見送りはやまない。

ずいぶん船が港から離れて、お見送りも最後の一隻になって。そこに乗り込んでいる人が海にザブン!と飛び込んで、おがさわら丸はようやく島から離れ始めた気がした。

帰路の海はとても穏やかだった。船内のラウンジでは、島で知り合った人同士で盛り上がっている。同じ釜の飯を食う、じゃないけれど、同じ船に乗って、同じ船で帰るって、飛行機よりも過ごす時間が長い分、ずいぶん距離が縮まるんじゃないか。(私も何人かと顔見知りになってしまった)

楽しそうな声が船のあちこちで聞こえて、まだ旅の余韻に浸って、眠りにつく。

旅の帰りは早い。

気がつけば船はどんどん東京に近づいている。

朝目覚めたら、船は三宅島に御蔵島を通り過ぎ、ひょうたんのような八丈島が見えて来る。どんどん周りに船影も増えてくる。

あぁ、東京湾に近づいてきた。旅が終わりにさしかかっている。島影かな、と思ったら、いよいよおがさわら丸が房総半島を横切る。

一時間もすると、コンテナの埠頭や工場が見えてくる。携帯の電波が入って、ポコポコとメールが来る音がする。うげー。

不思議な景色と時間のグラデーション。

少しずつ、日常に戻っている。

飛行機で移動していたら、パッと景色が変わって、映画を見ているような気分になるけれど。

これが船だと、ゆるやかに景色が変わって、気がつけば時間が経っていて、おとぎ話の中にいるみたいにも感じる。

浦島太郎は、船で旅をしていた時代にできたお話なのだな、と体感する。

私は、いつのまにか南国にいて、いつのまにか、東京に戻ってきている。そして、時間はずいぶん経っている…5泊6日のスケジュールを開ける時は、あんなに長い!と感じたのに、あっという間だった。

いよいよ船が岸壁に着く。

あんなに柔らかだった人々の表情も、服装も、島の空気感も、いつのまにか、少しずつ東京の色になっている。場の雰囲気は、あっという間に人間を飲み込む。周りの環境の力の大きさを改めて感じる。

乗り込んだ時とは、人々違う表情に見える客船ターミナル。あれは夢だったのだろうか、などぼんやりしながら、船を降りた。船の時間感覚はとっても面白い。

ありがとう、おがさわら丸。また、乗りに行きます。

(おわり)